ロバート・ドーニー名誉会長
ドーニー名誉会長略歴
1925年3月3日、マーベルとワーレン・ドーニー夫妻の長男として生まれる。2人の兄弟と3人の姉妹があり彼等は全てデイタイマー社で働いた。1950年オードリーライバックと結婚し3人の子供を(クレーブ、フェーイトアンとキース)儲ける。
オードリーは1994年1月に亡くなる。1996年ヘーズルと再婚、ヘーゼルは2人の息子と2人の娘があり、両者で7人の子供と12人の孫がいる。
ボブ・ドーニーはビジネス人生の全てを印刷業と通信教育で過ごした。彼の父ワーレン.P.ドーニーはボブと二人の兄弟を高校に在学中から印刷業に就かせた。
第2時世界大戦中、ボブは2年半空軍に勤めオハイオ州デイトン市のライトフィールドにて印刷担当として服役した。除隊後ファミリービジネスの印刷業に戻った。そのころにボブは通信販売にて何種類かの印刷物を成功裏に売り始めた。
1947年ドーニー印刷会社はモーリス・パーキンス、ペンシルベニア州、アレンタウン市の弁護士と提携関係を持つに至った。同氏は「弁護士の一日」というルーズリーフのシステム手帳を開発し、700名の顧客リストを持っていた。
そのオリジナルの弁護士の一日が結局デイタイマーと呼ばれるタイムプランナーオーガナイザーの全てのシリーズ製品に発展していった。そして各種の製品を合わせて300万を越える顧客リストを今日持つに至った。
1972年にデイタイマーはベアトリス社に参加し、耐久消費財組織グループの一部となった。その後アメリカンブランド社に買収された。そしてデイタイマーはイリノイ州ノースブルックのアコウ・ワールドに属するオフィス製品中心のビジネスの一部になった。
ボブ・ドーニーはベアトリス社の通信販売関連のグループ・マネージャーとして、またデイタイマー社の社長兼ゼネラルマネージャーとして1987年3月まで勤めた。1986年の一年間ボブは彼の後継者を探すことを率先してやった。そして彼の62歳の誕生日に上級副社長兼新製品開発役員としてデイタイマー社に残った。
デイタイマー社の新任社長へのスムーズな仕事の移行を確実に終え、またそれと時を同じくして息子のキース・ドーニーがナショナルリーグのデトロイトライオンズを引退発表した。ボブはデイタイマー社を1988年10月に正式に引退した。そして3年間コンサルタントとしてデイタイマー社で働いた。
ボブは全米通信販売協会の役員であり執行役員会のメンバーであった。そして、役員会の数知れぬ役を果たした。1988年7月にニューヨークで開かれた全米通信販売協会会議において名誉会長を努めた。
ボブはまたランカスター神学校の役員であり執行役員会のメンバーを20年以上も努め、そこでも多くの役を果たした。
ボブは長年の間、多くの市民、宗教、そして慈善団体や運動のために彼に時間とタレントを惜しげなく与えて来た。